私とPENTAX

PENTAXとの出会い

私が、初めて使った一眼レフが、PENTAX SP
50mmの標準レンズと。105mmの中望遠レンズ、このときから、私のカメラ遍歴が始まるのですが、当時中学生だった私には写真は高級な道楽。
バシャバシャト撮影して現像というわけにも行かず、フィルムの残枚数とカレンダーを睨めっこしながら今日は何こま撮れるなんて考えながら撮影していました。
その後、働き出して少し余裕が出てきたところで、買ったのがPENTAX K2
考えてみれば、そのときにNIKONなり、CANONを買うことができたのですが、中学生のころに憧れだったK2のBLACKボディ。
ふらふらと。カメラ屋に向かい、40-80のズームレンズとともに購入
このカメラ、後でわかったことですが、オーバーホールされないまま、店頭に並んでいたので露出計が狂っていた(+0.5〜1EV)ため、露出計の値を信用して撮影するとオーバー露出になってしまい、中央重点というのはこのように使いづらいものであろうか?と悩み、露出補正ダイヤルをマイナス0.5にして使っていました。笑

 

K2時代

初めて自分の働きで買ったカメラ、愛着がないわけはありません。
毎日カメラを持っては被写体を求めうろうろ。
このころから元々の放浪癖?に拍車がかかったようです。
当時職場の研修で約1年間、再教育のための訓練を受けることとなり、課外活動もあったので、そこで初めて写真クラブに入ることになりました。
今まで、写真について系統だって学んだこともなく(高校時代もなんとなく雰囲気がなじめず参加せず)初めて聞くことも多い中、仲間と撮影することで、自分に何が足りないのか、また優れた技をもっと盗んでやろう。
そして、私自身撮影枚数が増えたこともあって一気に自分なりに気に入った写真が撮れるようになってきました。
また、このときは講師の方のおかげで多くのレンズやカメラを導入することができました。
まず最初に、購入したのはMX、K2の調子がよくなかったこともあり(実は、秋頃に巻き上げクランクが動かなくなってしまい、修理を依頼したら・・・

5万円(当時)いると言われて泣く泣く修理を諦めました。(ただし、これには後日談がありまして、10年以上の時を経て復活)
その後も勧められるままに、MX、MVさらにリコーのXR2、と立て続けに購入、レンズも50mmオンリーから、28mm、135mmと少しづつ増えていきました。

ただ、この頃何ゆえか、長玉を購入しておらず(高かったのも理由ですが)、この頃に長玉を購入しておけばよかったと後悔しています。

 

黄金期?

カメラも三脚も一通り揃って、それらしく見える?アマチュアカメラマン

颯爽と蒸気機関車を撮影に行ったのに・・・

どうも、動くものは苦手らしい。笑(鉄道を撮影するために、カメラを買ったのにこれでは本末転倒)

それでも、夕暮れ時の写真などは今見てもなかなか新鮮?

そんなこんなで、1年はあっという間に過ぎて、その後地元の写真クラブなどに参加したりしましたが、なじめずそのまま退散それがよかったのか、悪かったのか。

私の写真はそれからしばらくすると、一般的な記録の写真から実験的手法の写真へとシフトしていきました。

こういった転換期には、不思議といろいろなめぐり合わせがあるもので、知り合いの方から白黒現像のセット一式を無料で譲ってもらったのでした。

そこで、自宅でも自由に写真を焼けることから、モノクロの世界にのめりこんでいきました。 

左の写真は、当時撮影した画像です、小学生のこの女の子も成人されていることでしょう。

じつは、この写真は赤外線フイルム(さくら赤外750)で撮影したもので、独特の雰囲気をかもしてくれる優れものでした。

他にも、コピーフイルムを使って、時間をかけて現像して細かな諧調をだして、その繊細な描写力に驚いたり。

写真の楽しさを最大限に楽しんだ第1次黄金期でした。

このころ、プロの写真家を目指そうとおもい、両親に話したら大反対すでに就職していていましたので、いまさら・・・といわれて挫折母親は、理解を示してくれて、賛成してくれたのですが父親はかたくなに反対結局は、自分の意思を通せないまま、ずるずると・・・・優柔不断な性格が問題だったとは思います、これがその後も問題になろうとは、意志を固めたら最後まで貫き通すことが肝心ですね。最近特に思います。

このときが一つの転機だったのですが、この頃から、職場が変わり、仕事も増えたことあり、カメラから少しづつ遠ざかってゆきました。

こうして、青春時代のカメラ黄金期は静かに幕を下ろしていくのでした。

休眠期

職場が、大阪市内に移ったこともあり通勤時間は大幅に増え、また仕事に内容も大幅に変わったことから、カメラをさわる余裕がなくなってきました。

大阪の職場に転勤してからしばらくして、結婚を前提としたお付き合いの出来る女性と出会うこととなりました、当時彼女は私と5つ違いの22歳、全身から若さ溢れる魅力的な女性でした、結婚はしたものの結局、離婚することとなってしまいましたが、小さな、小さな女性でした。

やがて短い交際期間を経て結婚、当時はデジタルカメラなど無かったので、旅行から帰ってきてから写真の整理に追われたのも懐かしい思い出です。

ただ、結婚当初は面白がって?嫁さん相手に写真を撮っていたのですが、やがて妊娠、そして出産となると今度は、子供に時間を取られてしまうし、写真も子供中心に・・・・

そうなってくると、今度は一眼レフのカメラより簡単に撮影できるコンパクトカメラを買ってほしいという要望が当然嫁さんから出てくる始末、確かにコンパクトカメラは撮影も簡単でゾーンフォーカス方式とはいえ、決して悪くはない。自然と、一眼レフを使う機会が減るし、カメラへの愛着も薄れ、次第にの扱いが適当になってしまいました・・・・これでは、かってプロカメラマンを目指したなんて言っても誰も信用してくれませんよね。苦笑

そうなって来ると不思議なもので、どんどんカメラが動かなくなってしまって。

MXは露出計が動かなくなり、K2は故障したまま、リコーXR2はシャッターが動かなくなり、というわけで使えるカメラが無くなってしまいました。そうなって来ると銀箱もレンズも無用の長物、ここで処分しておけば良かったのでしょうけれど、捨てきれない自分が・・・ずるずると引きづったまま10年の休眠期に入ってしまいました。

 

復活

一時期は、カメラの趣味から離れていた私ですが、とあることから、離婚。

    失意の元に始めたのが当時普及し始めていたインターネット、この文明の利器?を手にしたことで私の人生はまた大きく変わりました。

    多くの方と交流できるようになり、またカメラの趣味が復活したのです。

    始まりは鉄道に関する掲示板です。当時は画像掲示板なるものはまだ普及しておらず、文字だけのBBSが中心でしたが、見知らぬ人たちとコミュニケーションを図れるのはとても新鮮に感じたものです。

    これにより、再び「青春18切符」を手に撮影に出かけることとなりました、以前は一人で出かけた旅ですが、今回からは多くの中間と一緒に・・・
    復活の最初は、夏場に行った「長浜」付近での撮影でした、当時はデジタルカメラなどは持っておらず、かろうじて動くのは露出計が作動しないMXのみ。(これは、後に修理して復活)
    「PENTAX MX+50mm標準レンズ+105mm中望遠レンズ」に数本のネガカラーフィルムという情けないスタートとなりました。
    当然といえば当然ですが、出来上がった写真は散々、自分でも激しく落ち込んでしまう写真でした。

    

今も親しくお付き合いいただいている方も多数おられますが、この出会いがあったことで今の私があると考えています。

 

時代はデジタル中心になっていますが、最近改めてリバーサルフィルムを中心とした銀塩カメラの魅力を再発見

PENTAXさんには申し訳ないが、LXの後継ともいえるプロの使用に耐えれる高性能の銀塩カメラを発売して欲しいと切に願うこの頃です。

continue

 

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